お気に入り登録した商品は、こちらのプルダウンから確認することができます
同一ショップで5801円以上購入時、送料無料
※同時に(一度に)購入した場合のみ適用となります
【 明日10:00 】 までのご注文で翌日お届けに対応。 定休日のご注文は翌営業日の発送となります。(定休日:日曜日, 土曜日, 祝日)
【重要】 交通事情や悪天候などの不可抗力が生じた場合は、商品到着の日時が変更となる場合が御座います。 また年末年始やクリスマスなどの繁忙期は輸送量の増加により【翌日お届け】対応が困難となる場合が御座います。 ※ご希望のご選択がない場合は、値札は外さず発送となります。
レビューはありません。
残り 3 点 8,250円
(765 ポイント還元!)
翌日お届け可(営業日のみ) ※一部地域を除く
お届け日: 12月03日〜指定可 お届け日: (明日10:00のご注文まで)
ページ上部の「お気に入り商品一覧」からご確認頂けます。
30個以上かつ10万円以上のご購入はこちらからお問い合わせください
25,500円
28,800円
58,000円
16,000円
12,000円
8,300円
Northern Owl White 廃盤品 ittala
62,500円
シンゾーンサングラスBuddy Optical
28,000円
大川家具よりダイニング5点セットのご紹介!
49,280円
高級 オニキス K18 イエローゴールド リング 喜平 キヘイ タイプ 18金
41,000円
サッカーストレッチスタンドブルゾン
16,100円
天然無垢材 飛騨産業【森のことば】3人がけソファー
98,000円
SONY α6500本体 + シグマ レンズ3本
158,000円
織田信長★長篠の戦い☆フィギュア★騎馬像☆置物☆甲冑☆鎧
23,388円
パソコンデスク 学習机 ワークデスク
10,990円
アルトHA12S エポターボ風 FRP軽量ボンネット
33,500円
8,250円
カートに入れる
○ LABEL・・・NORGRAN MG N-27 ○ CONDITION (盤/ジャケット)・・・Aー/Aー * 盤の状態 ・・・・・・・・微細な擦れ少々。 * ジャケットの状態・・・中央底抜け(8cm) ○ 特記事項・・・US Orgi 重量/ビニール・コーティング/録音日:1954年4月22,23日:Hollywood
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━
■第八章●アフロ・キューバン・ジャズ物語◆キューバとメキシコ時代編【チコ・オファリル】
注)アフロ・キューバン・ジャズ物語は全十六章からなっている(各章はRecord No.と対応している)。
◆Record No.⑧ ◆CHICO O"FARRILL ◆MABO DANCE SESSION (25cmLP)
●チコ・オファリルはJ.A.T.P.の主宰者、ノーマン・グランツの為にアフロ・キューバン・ジャズ組曲(2LP)とジャズ曲(8曲)を除きマンボを前期:19曲(1951年:NYC録音)+後期:16曲(1954年:Hollywood録音)をレコーディングしている。
●本アルバムには後期に録音された2枚の(25㎝LP)10インチ盤16曲の内、8曲が収録されている。
●チコ・オファリルの初期の作品はマチートのメンバーとのコンビで形作られたも同然だったがこの作品にはそのメンバーはいない。1953年に彼自身が初めて独立したこのオーケストラは1年足らずの活動期間(1954年迄)だったがこの足跡からチコ・オファリルの本来の姿を知ることとなった。その後の彼の作品(パナルト、オルフェオン、コロンビア等)でみられるソフトで歯切れの良いダンサブルなラテン・バンドの原形がこの時生まれたのであった。
●1948年から始まったノーマン・グランツのミッションは1954年のこれらの作品をもって全てが終了した。これに関わったミュージシャン達は解散しそれぞれ別の道を歩んでいった。マチート楽団はTICOレーベルへ移籍してマンボを再開しチコ・オファリルは米国を離れてキューバへと渡り(1954年頃)そこで2年間程を過ごした。
●キューバでの主な仕事には下記の通りである。 ①:1956年作:ペルチンらキューバン・オーケストラとの『CHICO"S CHA CHA CHA』(Panart-3013)、 ②:1957年作:カルテート・ラス・ダイーダ『CUARTET D’Aida』(RCA VICTOR-173)、 ③:1957年作:シオマラ・アルファロ『XIOMARA ALFARO』(VICTOR-126)(をプロデュース)、 ④:1957年:デスカル関連・・・、
●そんな最中1957年にオルフェオン・レーベル(1957から1965年)からのオファーが掛かりメキシコ・シティーを活動の拠点とした。メキシコでは米国で叶わなかった彼自身のオーケストラを長きに渡って実現することが出来た。彼はメキシコ人やキューバから亡命してきたメンバーを集めあらゆる人にアピールするインターナショナルな音楽を目指した。その一方でキューバ音楽との絆も深かった。彼のアントバル・キューバン・オールスターズ(1959年~1962年)やアート・ファーマーのアフロ・キューバン・アステカ組曲(1959年)を始めとする後年の名作はここから発信されたのである。
●チコがメキシコを離れ再びNYCへ戻ったのは1965年の事である。そして、古巣のVerveへ返り咲いた。この年(1965年)プラードはアメリカでの人気が下火とななり再びメキシコ・シティー(オルフェオン)へ本拠地を移した。彼は長年専属していたRCAを(1964年に)離れて1955年に最後の長編大作『CONCIERTO PARA BONGO』(UNITED ARTISTS-6489』の録音を終えて帰って来たのである。プラードの勝負曲である最初の『ウ゛ードゥー組曲』(1954年)と最後の『ボンゴ・コンチェルト』(1965年)の作品は奇しくもチコ・オファリルが米国から出入りする年に作られたのも何かの因縁であったかも知れない。